栗原はるみの若い頃から77歳の現在まで|夫のひと言からたどり着いた天職

栗原はるみ
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人気料理研究家のさんの若い頃から現在までの軌跡に、多くの人が興味を持っています。77歳になった今も第一線で活躍し、変わらぬ若々しさを保ち続ける栗原はるみさんには、どんな秘訣があるのでしょうか。

実は栗原さんは36歳まで専業主婦として過ごしており、外で働くことは考えていませんでした。しかし、「僕を待つだけの女性にならないで」という夫の一言をきっかけに人生が大きく変わります。

料理番組のアシスタントからキャリアをスタートさせ、『ごちそうさまが、ききたくて。』で200万部を超えるミリオンセラー作家となった栗原さん。家事と仕事の両立に苦労しながらも、独自の料理スタイルを確立していきました。

この記事では、静岡での生い立ちから、14歳年上の夫との出会い、料理家としての転身、そして77歳の現在に至るまでの栗原はるみさんの軌跡を詳しくご紹介します。

母から受け継いだ和食の基礎と、夫との出会いで広がった洋食の世界
専業主婦から料理家への転身と、家事・育児との両立の工夫
77歳になった今も若々しさを保ち続ける生活習慣と考え方

料理家としての成功だけでなく、77歳になった今も新しい挑戦を続ける栗原さん。その生き方には、私たちの人生にヒントとなるエッセンスが詰まっています。

栗原はるみの若い頃

料理研究家として77歳の今も第一線で活躍する栗原はるみさん。26歳での結婚を機に、専業主婦から料理家への転身を果たしました。夫の一言がきっかけとなり、料理の道を歩み始めた栗原さんの軌跡をご紹介します。

静岡で過ごした生い立ち

1947年、下田市で生まれた栗原はるみさん。幼少期から、母親が家族や従業員のために丁寧に作る和食の味に親しんで育ちました。

毎朝、母は早起きして米を研ぎ、だしからとったみそ汁を作り、昼にはかつお節を削ってそばつゆを作るなど、純和風の食卓が日常でした。栗原さんは母の姿を見ながら、自然と料理の基本を身につけていきました。

特に、すりゴマを入れた「ゴマのみそ汁」や野菜をゴマで炊いた料理など、母から受け継いだ和の味は、現在の栗原さんの料理の原点となっています。母の作るぬか漬けやゴマあえ、煮物などの味の厚みは、今でも栗原さんの目標だといいます。

運命的な夫との出会い

20歳で短大を卒業した栗原さんは、父親の「働かずに家に帰ってきなさい」という言葉に従い、下田で実家の手伝いをしながら刺繍や編み物を習っていました。

そんな時、兄の友人として訪れた栗原玲児さんとの出会いが訪れます。

当時、テレビ朝日「モーニングショー」のサブ司会者として活躍していた玲児さんは、料理上手で洋食を得意としていました。古風な和食の家庭で育った栗原さんにとって、玲児さんの作るビーフシチューは新鮮な驚きでした。

玲児さんの別荘には、デザイナーや写真家、イラストレーターなど、時代の最先端を行く人々が集まっていました。留学経験者もいて、ギターやピアノを弾いたり、クルーザーやスポーツカーを持っている人もいて、栗原さんにとって、今まで知らなかった新しい世界が突然目の前に開けた瞬間でした。

14歳差を乗り越えた結婚

二人の間には14歳という年齢差があり、さらに玲児さんには離婚歴もありました。はるみさんの両親は当初、結婚に強く反対。しかし、26歳になったはるみさんは決意を固め、玲児さんのもとへ向かいます。

一人娘だったはるみさんは大変かわいがられ、ある意味では「カゴの中の鳥」のような状態だったといいます。しかし、玲児さんとの出会いによって、人生には無限の可能性があることを知ります。既存の価値観にとらわれない玲児さんの生き方に触れ、自分も新しい一歩を踏み出す勇気をもらったのです。

翌日、二人で実家へ戻った際、玲児さんは両親に誠意を持って謝罪。この真摯な態度に両親の心も開かれ、1973年についに結婚が実現しました。その後、1975年に長女・友さん、1978年に長男・心平さんが誕生し、栗原さんの新しい人生が始まっていきます。

栗原はるみと夫 栗原玲児|14歳の年の差婚から46年間の夫婦の絆まで
栗原はるみさんの夫・栗原玲児さんは、妻の料理研究家としての道を開き、46年間支え続けた人物です。14歳差を乗り越えた結婚から、肺がんで他界するまでの夫婦の軌跡と、妻への深い愛情、そして喪失後も料理を通じて前に進もうとするはるみさんの姿を詳しく紹介します。

洋食との出会いと新しい発見

結婚後、栗原さんの料理の世界は大きく広がります。玲児さんは栗原さんを招いては、洋食の手料理を振る舞ってくれました。

ランチョンマットやカトラリー(ナイフ、フォークなど)をきちんとセットした食卓、大きなユリやバラなどの洋花を花びんに生けた食空間など、すべてが新鮮な驚きでした。この経験が、後の栗原さんの和洋折衷の料理スタイルの基礎となっていきます。

料理家としての転機

専業主婦だった栗原はるみさんの人生を大きく変えたのは、夫からの一言でした。仕事で忙しい夫を待つだけの生活から、自分の道を見つけるまでの軌跡をご紹介します。

夫の言葉がきっかけで見つけた新しい道

結婚当初、栗原さんは夫の帰りを待つ専業主婦として過ごしていました。玲児さんはテレビの仕事で何日も帰宅できないこともありましたが、栗原さんは特に不満も感じず、ただひたすら夫の帰りを待っていました。

そんな栗原さんに玲児さんは「僕を待つだけの女性にならないでほしい。社会に出て、自分のやりたいことを見つけなさい」と声をかけます。就職経験もアルバイト経験もなかった栗原さんは戸惑いましたが、この言葉が人生の転機となりました。

料理番組アシスタントとしての出発

36歳のとき、夫が連れてきたテレビ関係者を手料理でもてなしたことがきっかけで、料理番組の裏方として仕事を始めることになります。当時、料理番組の現場では料理の専門学校を出た方やプロが主流で、専業主婦出身の栗原さんへの風当たりは強いものでした。

しかし、栗原さんは諦めることなく、スタッフとのコミュニケーションを大切にしました。朝一番にシフォンケーキを焼いてスタジオに持参し、みんなで温かいを飲みながら和やかな雰囲気を作る努力を重ねました。

料理研究家としてのデビュー

3年間の料理番組アシスタントの経験を経て、栗原さんは創刊したばかりの女性誌に「サバのそぼろ」のレシピを掲載。この記事が大きな反響を呼び、料理研究家としての第一歩を踏み出すことになります。

1992年には『ごちそうさまが、ききたくて。』を出版。忙しい中で家族のために作った料理で、「美味しい」と言ってもらえたものを集めたレシピ集は、121万部という驚異的な売り上げを記録。94年刊行の続編『もう一度、ごちそうさまがききたくて。』と合わせて200万部を突破する大ヒットとなりました。

私の手元にもこの2冊はありますが、刊行から30年以上経つ現在でも、内容はまったく色褪せていません。バイブルにしている人も多いのではないでしょうか。

家事と仕事の両立への挑戦

余談ですが。昔の栗原はるみさんはこんな感じで セミロングの髪にターバン、ロングスカートが定番の、今よりも華やかなスタイルでした。それに、出始めた当初は、顔も真ん丸で、もっとふっくら体形でした。

栗原はるみの若い頃

それが急に髪をショートにした時にはだいぶイメージが変わって驚きましたし、どんどん痩せてきれいになっていきました。今はGパンはいてるし、ますます若く見えるのがすごい。別人のように変わりましたね。

私はすてきレシピの前身の「暮らしのレシピ」(1996年3月)のころから栗原はるみさんのファンですが、たぶん、私のように初期の栗原はるみさんを知っている人は、あの激変ぶりに!!!となったと思います。

あの頃の私は、栗原さんのライフスタイルとうつわにかなり影響を受け、和食器の沼にハマってかなり散財したような記憶が・・・(汗)

閑話休題。

栗原はるみさんが仕事を始めた当時、長女は小学1年生、長男は幼稚園の年少でした。朝7時にはスタジオ入りし、夜10時過ぎまで収録が続くこともある忙しい日々。

長女が弟の面倒を見て、自分で鍵をかけて学校に行くなど、子どもたちには大きな負担をかけることになりました。

そんな中で生まれたのが、栗原さんの料理哲学です。限られた時間の中で、いかに家族に喜んでもらえる料理を作るか。手間は惜しまないけれど、無駄は省く。そんな考え方が、多くの主婦から共感を得ることになりました。

77歳の今も輝き続ける秘訣

料理家として第一線で活躍し続ける栗原はるみさん。77歳になった今も変わらない美しさと若々しさを保ち、新たな挑戦を続けています。その生き方や考え方をご紹介します。

シンプルな美容と健康の習慣

栗原さんは「若くいたい」とは言わず、アンチエイジングという発想を持ちません。「歳を重ねるのは自然なこと」と考え、朝晩のスキンケアだけは丁寧に行い、シミやしわを無理に隠そうともしません。

日々の健康管理では、以下のような習慣を大切にしています。

毎朝5時の起床
1日1リットルの牛乳を飲む習慣
バランスの良い食事と規則正しい生活

これらの習慣は、若い頃から続けていることで、自然と生活の一部となっているそうです。

ポジティブな心の持ち方

栗原さんは「脳に言い聞かせること」を大切にしています。

たとえば、「ここにしわが増えたらどうしよう」ではなく、「ここにはしわは増えることはない」というように、鏡を見ながらポジティブな言葉をインプットすることを心がけているといいます。

また、新しいことへの挑戦も絶やしません。77歳になった現在も、英語や韓国語、ギターなど、興味のあることに積極的に取り組んでいます。

80歳までは全力で仕事をすると決意を新たにしている姿は、多くの人々に勇気を与えています。

料理を通じた家族との絆

2019年に夫・玲児さんを肺がんで亡くした後も、栗原さんは料理を通じて前に進もうとしています。長女の友さん、長男の心平さんも料理家として活躍し、まさに料理一家として知られています。

インスタグラムでは「#玲児さんありがとう」というハッシュタグをつけて日々の思いを投稿するなど、夫への感謝の気持ちを大切にしながら、新しい人生を歩んでいます。現在も66万人以上のフォロワーを持ち、多くの人々に影響を与え続けています。

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次世代への想いと新たな挑戦

2022年には、75歳にして新しい雑誌『栗原はるみ』を創刊。

料理だけでなく、ライフスタイルや生き方についても発信を続けています。自身の経験を活かし、子どもたちへの料理教育にも力を入れています。

栗原さんは「食の大切さや日本文化の素晴らしさを、次の世代に伝えていきたい」と語ります。小学生から中学生の子どもたちに料理を教えるボランティア活動も行うなど、料理を通じた社会貢献にも積極的に取り組んでいます。

栗原はるみの若い頃から77歳の現在に至る輝かしい軌跡【総括】

1947年静岡県下田市生まれ、母から和食の基礎を学ぶ
26歳で14歳年上の栗原玲児と結婚し、人生の転機
夫の「僕を待つだけの女性にならないで」の言葉がきっかけでキャリアスタート
36歳で料理番組アシスタントとしてデビュー
1992年『ごちそうさまが、ききたくて。』でミリオンセラー達成
和洋の枠を超えた独自の料理スタイルを確立
長女・友さん、長男・心平さんも料理家として活躍
シンプルな美容習慣と規則正しい生活で若々しさを保持
インスタグラムのフォロワー66万人超えの影響力
75歳で新雑誌創刊など、新たな挑戦を継続
次世代への料理教育にも熱心に取り組む
2022年77歳になった今も第一線で活躍中

料理を通じて、家族との絆を育み、多くの人々に影響を与え続けている栗原はるみさん。「歳を重ねることは自然なこと」と捉え、常に前向きな姿勢で新しいことに挑戦し続ける姿は、私たちに生きる勇気と希望を与えてくれます。これからも、栗原さんの活躍から目が離せませんね。


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