栗原はるみと夫 栗原玲児|14歳の年の差婚から46年間の夫婦の絆まで

栗原はるみ
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栗原はるみさんの夫 栗原玲児さんは、料理研究家として活躍する妻の人生を大きく変えたです。14歳年上で再婚相手という事実に、当初は両親が反対したものの、46年にわたる深い愛情で結ばれた夫婦でした。

「夫婦の絆とは何か」「大切な人を失った後、どのように前を向いて生きていけばいいのか」そんな普遍的な問いに対するヒントが、二人の歩みの中に隠されています。

栗原玲児さんは「僕を待つだけの女性にならないで」と妻の背中を押し、料理研究家としての道を開きました。しかし2018年、肺がんが発見され、延命治療を選ばず自宅での療養を決意。2019年8月に85歳で他界するまで、夫婦で静かな時間を過ごしました。

この記事では、栗原はるみさんと栗原玲児さんの46年にわたる夫婦の軌跡を、以下のポイントを中心に詳しく紹介していきます。

はるみさん21歳での運命的な出会いから14歳差を乗り越えた結婚まで
料理研究家への転身と、二人三脚で築き上げた成功
一男一女の子どもたちと共に歩んだ料理一家としての道のり
肺がんとの闘いと、最期まで自宅で過ごすことを選んだ決断
夫を失った後、料理を通じて前に進もうとする現在

玲児さんへの深い愛情と喪失感を抱えながらも、新たな挑戦を続ける栗原はるみさん。その生き方には、私たちが人生で直面する様々な課題へのヒントが詰まっています。

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栗原はるみの夫との出会いと馴れ初め

料理研究家として知られる栗原はるみさんと夫・栗原玲児さんの運命的な出会いは、はるみさんが21歳の時でした。下田市の実家で、兄の友人として訪れていた玲児さんの存在が、後の人生を大きく変えることになります。

兄の友人として訪れていた玲児さん

当時、栗原はるみさんの兄は週末になるとデザイナーやカメラマンなどの友人たちを自宅に招いていました。その中にいた玲児さんは料理上手で、はるみさんは彼の作るビーフシチューの味に感動したといいます。

古風な和食中心の家庭で育ったはるみさんにとって、玲児さんの洋食は新鮮な驚きでした。玲児さんは当時、テレビ朝日「モーニングショー」のサブ司会者として活躍する人気キャスターでした。

14歳差を乗り越えた結婚

二人の間には14歳という年齢差がありました。さらに玲児さんには離婚歴もあり、はるみさんの両親は当初、結婚に反対していました。

26歳になったはるみさんは玲児さんのもとへ行くことを決意して実家を飛び出しますが、翌日には二人で実家へ戻り、玲児さんが両親に誠意を持って謝罪。この真摯な態度に両親の心も開かれ、1973年についに結婚が実現しました。

栗原はるみの夫が導いた料理研究家への道

栗原玲児さんは、妻のはるみさんが料理研究家として活躍する道を開いた重要な人物です。専業主婦だったはるみさんの人生を大きく変えた言葉と、その後の歩みを振り返ってみましょう。

「僕を待つだけの女性にならないで」

結婚当初、はるみさんは多忙な夫の帰りを待つ専業主婦でした。玲児さんは時にテレビの仕事で何日も帰宅できないこともありましたが、はるみさんは特に不満も感じず、ただひたすら夫の帰りを待っていました。

そんなはるみさんに玲児さんは「僕を待つだけの女性にならないでほしい。社会に出て、自分のやりたいことを見つけなさい」と背中を押しました。

当時、就職経験もアルバイト経験もなかったはるみさんは戸惑いましたが、有名人の妻がテレビに出る企画で料理を披露する機会を得て、そこから料理番組の裏方として仕事を始めることになりました。

裏方からプロの料理家へ

料理番組で働き始めて3年後、はるみさんは創刊したばかりの女性誌に「サバのそぼろ」のレシピを掲載。この記事が大きな反響を呼び、料理研究家としての第一歩を踏み出すことになりました。

玲児さんは妻の才能を信じ、自身も芸能界を引退してはるみさんの活動を全面的にサポートする道を選びました。1994年には二人で「株式会社ゆとりの空間」を設立し、料理教室やレストラン、の開発など、事業を拡大していきました。

二人三脚で築いた成功

はるみさんが考案するレシピに対して、玲児さんは率直な意見を述べる良き理解者でした。「おいしければ『ベリーグッド』『まこといい』、まずければはっきりと『まずい!』と言ってくれた」とはるみさんは振り返ります。

時には厳しい意見に戸惑うこともありましたが、夫の意見を真摯に受け止め、何度も試作を重ねることで、より良いレシピが完成していったのです。二人の息子・心平さんと娘・友さんも料理家として活躍するようになり、まさに料理一家として知られるようになりました。

栗原はるみと夫の子どもたち

栗原はるみさんと栗原玲児さんの間には、長女の友さんと長男の心平さんの2人の子どもがいます。親の影響を受け、2人とも料理の道を選択し、それぞれ独自の活動を展開しています。

長女・友さんの歩み

1975年生まれの長女・友さんは、当初アパレル関連会社でPR業務を担当していました。しかし2005年、30歳を機に料理家への転身を決意。2009年には「ASEAN Food アンバサダー」に就任し、恵比寿でレストランを開店するなど、精力的に活動しています。

2014年に結婚し、同年に長女も誕生。2019年には乳がんを公表し、闘病しながらも料理家としての活動を続けています。

栗原はるみの娘 栗原友の病気|乳がん克服と夫と営む築地「クリトモ商店」の今
栗原はるみ娘の栗原友さんの挑戦の軌跡をご紹介。料理家としての活動、築地での修行、乳がん克服、そして夫婦で営む人気店「クリトモ商店」まで。フードロス削減や環境配慮など、現代的な課題にも取り組む彼女の生き方から、新たな食の可能性が見えてきます。

長男・心平さんの活躍

1978年生まれの長男・心平さんは、小学生の頃から日曜日のブランチを担当するなど、早くから料理に親しんでいました。高校生になると夕食も任されるようになり、大学卒業後は自然な流れで料理研究家の道へ。

2003年に結婚し、現在は「株式会社ゆとりの空間」の代表取締役として家業を継ぐとともに、テレビ東京「男子ごはん」などの番組でも活躍しています。

玲児さんの最期を見送った後は、母・はるみさんを気遣い、実家の向かいに住んで支え続けています。

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栗原はるみの息子・栗原心平は、料理家として活躍する傍ら株式会社ゆとりの空間の代表取締役社長も務める実力者です。小学2年生から培った料理の腕前、23歳での料理家デビュー、27歳での経営者就任など、二つの顔を持つ魅力的な人物像に迫ります。料理と経営の両立術や、独自の料理観まで詳しく解説します。

栗原はるみの夫との最期の日々

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豆ごはん×生姜焼き×ポテサラが玲児さんの好きなメニュー であると「ごちそうさまが、ききたくて」で紹介されています。

46年にわたる夫婦の絆は、2018年6月に訪れた突然の出来事により、大きな試練を迎えることになります。夫婦の深い愛情と覚悟の日々が始まりました。

肺がんの発見と決断

心臓のペースメーカー定期検診をきっかけに、玲児さんは肺がんが見つかりました。放射線治療により一時は症状が改善したものの、半年後に再発。医師から「余命半年から1年」と告げられた玲児さんは、延命治療を受けずに自宅で過ごすことを選択しました。

若い頃からのヘビースモーカーだった玲児さんは、自身の病気を冷静に受け止め、むしろ家族を気遣う姿勢を見せていました。

最期まで自宅で過ごした日々

玲児さんは残された時間を大切な家族と共に過ごしました。読書や音楽鑑賞を楽しみ、自分の好きなように時間を使いながら、戒名や死装束まで自ら手配するなど、終活も静かに進めていきました。

亡くなる1か月前には完全な寝たきり状態となりましたが、はるみさんは一言の弱音も吐かずに介護を続けました。2019年8月3日、85歳で息を引き取るその時まで、家族に見守られながら穏やかに過ごしました。

栗原はるみさんが夫を亡くして5年

46年連れ添った最愛の夫を失い、はるみさんは深い喪失感に包まれました。しかし、料理研究家として、また一人の女性として、新たな一歩を踏み出そうとしています。

深い喪失感との向き合い方

夫を亡くした悲しみは想像以上に大きく、はるみさんは眠れない日々が続き、体重が5キロも減少しました。「こんなに誰かのために悲しめるものなのか」と、自身でも驚くほどの喪失感を味わいました。

長男の心平さんからは「抜け殻みたい。おやじに依存していたんだね」と言われ、はじめて自分が夫に精神的に大きく依存していたことに気づいたといいます。

一方で、仕事は休まず続け、それが立ち直るための支えとなっていきました。

料理を通じた新たな一歩

玲児さんがいない食卓で、一人分の料理を作ることにも最初は戸惑いを感じたはるみさん。特にプライベートのリビングで料理を作ることができず、仕事の合間に簡単な食事を済ませる日々が続きました。

しかし「夫がいるときに続けていたことを、手を抜かずに続けよう」という思いで、少しずつ前を向き始めています。2022年には自身の料理本でひとりごはんのレシピを紹介し、「料理をきっかけに前に進みたい」という強い思いを語っています。

新たな挑戦への決意

77歳を迎えた現在も、はるみさんは精力的に活動を続けています。

朝5時に起床し、夫の仏前に手を合わせ、と洗濯を済ませた後、英語や韓国語、ギターなど新しいことにも挑戦。80歳までは全力で仕事をすると決意を新たにしています。

また、インスタグラムでは「#玲児さんありがとう」というハッシュタグをつけて日々の思いを投稿するなど、夫への感謝の気持ちを大切にしながら、新しい人生を歩もうとしています。

栗原はるみが語る、夫との46年【総括】

21歳での運命的な出会い
14歳差を乗り越えての結婚
料理研究家への転身のきっかけを作った夫
二人三脚での事業展開
料理一家を築いた家族の絆
長女・友さんの料理家としての活躍
長男・心平さんの家業継承と支え
肺がん発見から1年の闘病生活
延命治療を選ばず自宅で過ごした最期
85歳での永眠
妻への深い愛情と信頼
46年の幸せな結婚生活
喪失後の新たな人生への挑戦
75歳での新たな挑戦

大切な人を失う悲しみは、誰にとっても耐えがたいものです。しかし、栗原はるみさんは夫との46年の思い出と、料理を通じて少しずつ前に進もうとしています。皆さんも、どんな困難があっても、一歩ずつ前を向いて歩んでいってください。

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