益田千栄は、1990年に福岡で起きた赤池町保険金殺人事件の共犯者として知られています。20歳という若さで凶悪犯罪に手を染めた彼女の事件は、今でも多くの人々の記憶に残る衝撃的なものでした。
なぜ名門T高校を卒業し、裕福な家庭で育った女性が、このような凶悪犯罪に関与することになってしまったのか。その背景には、前科者の小田義勝による巧妙な心理操作と支配があったとされています。
本記事では、益田千栄の生い立ちから事件への関与、9年に及ぶ逃亡生活、そして現在に至るまでの詳細な経緯を紹介していきます。
名門校出身の目立たない女子高生が犯罪者へと変貌するまでの経緯
小田義勝による支配と、保険金殺人の計画から実行までの詳細
9年に及ぶ逃亡生活と、自首に至るまでの心境の変化
裁判での証言と、現在の服役生活
この事件は、若者が犯罪に巻き込まれるリスクや、支配的な人間関係の危険性を私たちに警告しています。この事件から得られる教訓を考えていただければと思います。
赤池町テレクラ保険金殺人事件に関与した人物たち
20歳の若さで犯罪に手を染めた益田千栄と、彼女を犯罪へと導いた小田義勝。そして不運にも命を奪われた2人の被害者について詳しく見ていきます。
益田千栄 – 20歳の雇われ社長
事件当時20歳という若さで保険金殺人に加担した益田千栄。福岡の名門T高校を卒業後、小田義勝が設立したマスダ宝石の社長として雇われました。
1970年生まれ
福岡県の裕福な家庭で育つ
名門T高校家政科を卒業
高校時代は目立たない存在で、特に問題行動もなかったと言われています。実家は広い庭と高い塀に囲まれた和風邸宅で、経済的な困窮はありませんでした。
小田義勝 – 前科者の黒幕
事件の主犯として死刑が確定した小田義勝。複数の前科を持ち、定職に就かずに犯罪で生計を立てていた人物です。
事件当時42歳
火災保険金詐欺の前科あり
マスダ宝石の実質的経営者
表向きは紳士的な態度で周囲を欺いていましたが、実際は保険金詐欺を繰り返す悪質な犯罪者でした。益田を精神的に支配し、殺人計画に巻き込んでいきました。
被害者について
この事件で命を奪われたのは、マスダ宝石の従業員だった蔭西生代さんと、テレクラを通じて呼び出された白石健さんです。
蔭西さん(当時20歳女性)
– マスダ宝石の従業員として採用
– 採用直後に1億円の保険に加入させられる
– 事件当日、益田に呼び出される
白石さん(当時27歳男性)
– 無職
– テレクラを通じて益田に誘い出される
– 無理心中に見せかけるため利用される
この2人は面識がなく、小田と益田の卑劣な計画によって、偶然にも同じ日に命を奪われることになりました。蔭西さんは就職先を探していただけ、白石さんはテレクラで知り合った女性との出会いを期待していただけでした。まさに理不尽な形で命を絶たれた2人の無念さは、言葉では言い表せません。
テレクラ(テレフォンクラブ)とは?
テレホンクラブの看板の生き残り pic.twitter.com/7cFCprGPaZ
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テレホンクラブはまだ日本に現存する pic.twitter.com/ZS6KAts7mU
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保険金殺人事件で被害者を誘い出すために使用されたテレクラ。1980年代から1990年代に流行しました。
「テレフォンクラブ」の略称
男性が店舗の個室で待機
女性は自宅や公衆電話から発信
テレクラは、見知らぬ男女が電話を通じて会話を楽しむシステムでした。店舗に設置された個室で男性が待機し、女性は自宅や公衆電話から店舗に電話をかけます。店側がその電話を待機中の男性に取り次ぐことで、男女の会話が始まります。
女性が店舗に電話
店側が待機中の男性に接続
会話を通じて実際の出会いにつながることも
1985年頃から登場したテレクラは、次第に援助交際の温床としても問題視されるようになりました。本事件でも、益田は男性被害者の白石さんをテレクラを通じて誘い出しています。
2000年代に入り、インターネットや出会い系サイトの普及により、テレクラは徐々に衰退していきました。テレクラ(テレフォンクラブ)は、携帯電話が普及する前の時代の出会い系サービスの一つと言えます(現在もあるようですが)
赤池町保険金殺人事件の全容
当初は無理心中として処理されかけた本件の真相と、綿密に計画された殺人計画の全容に迫ります。
マスダ宝石設立から殺人計画まで
1990年10月、小田は保険金殺人を目的としてマスダ宝石を設立します。そして、従業員募集に応募してきた益田を社長に据え、計画を実行に移していきました。
会社設立の目的は保険金殺人
20歳の益田を社長に据える
従業員を募集して保険をかける手口
会社設立後、小田は益田を競艇場に誘うなどして親密な関係を築き、やがて同棲するまでになります。この過程で益田は小田に心酔し、言いなりになっていきました。
保険金殺人の計画は以下のような綿密なものでした。
若い女性従業員を採用して高額な保険に加入させる
テレクラで男性を誘い出し、無理心中に見せかける
車両火災により証拠を隠滅する
クリスマスの日の残虐な犯行
1990年12月25日、小田と益田は保険金殺人計画を実行に移します。クリスマスを選んだのは、人々の目をごまかすためだったと考えられています。
益田が蔭西さんを呼び出し、車で移動
小田がテレクラで知り合った白石さんを連れ出す
田川市の山中で蔭西さんを殺害
小田と益田は再び白石さんを連れ出し、川崎町安真木の山中へ。そこで白石さんに遺書を書かせた後、殺害しました。
2人の遺体を白石さんの車に乗せる
赤池町の総合運動公園に移動
ガソリンをかけて車両ごと焼却
事件発覚と捜査の展開
12月28日、全焼した車両と2人の遺体が発見されます。当初は無理心中として処理されそうになりましたが、蔭西さんに1億円もの保険金がかけられていた事実が発覚し、捜査の方向性が大きく変わっていきました。
遺体の状態から他殺の疑い
高額な保険契約の存在
受取人が益田であることが判明
福岡県警は綿密な捜査を進め、以下の事実を明らかにしていきます。
マスダ宝石が実態のないペーパーカンパニーであること
小田が前科のある人物であること
保険金受取人である益田が雇われ社長であること
これらの事実から、警察は事件を「無理心中を装った保険金目的の殺人事件」と断定。1991年10月11日、小田と益田を殺人容疑で指名手配しました。しかし、この時点ですでに2人は東京へと逃亡していました。
9年に及ぶ逃亡から裁判へ
殺人事件から始まった2人の逃亡劇。小田の逮捕、そして益田の自首まで、実に9年もの歳月が流れました。
東京での逃亡生活の実態
事件後、小田と益田は東京へ逃亡します。2人は南浦和駅を待ち合わせ場所とし、それぞれが違法な方法で生活費を稼いでいました。
小田の逃亡生活
空き巣や窃盗を繰り返す
益田に「自分が来なければひとりで逃げろ」と指示
親族に「2人を殺してしまった」と告白していた
益田の逃亡生活
テレクラを利用した売春で生活費を稼ぐ
東京、神奈川、埼玉の風俗店を転々
常に警察の目を警戒しながらの生活
小田の逮捕と死刑確定まで
逃亡3年目となる1993年11月5日、小田は埼玉県浦和市で強盗未遂事件を起こし、現行犯逮捕されます。しかし、赤池町の保険金殺人事件については、当初は立証が難しい状況でした。
小田の逮捕後の経緯
1994年2月に保険金殺人で再逮捕
黙秘を続け、証拠不十分で一時は処分保留に
強盗致傷で懲役3年8月の実刑判決
転機が訪れたのは1996年1月。甲府刑務所で服役中の小田が、同房者にも「2人を殺した。今度は無期か死刑やろ」と打ち明けたことが新たな証拠として浮上します。また、父親への手紙や元義母の証言など、複数の新証拠が発見されました。
裁判での小田の態度
当初は完全黙秘を貫く
1999年3月に突如、犯行を認める
殺害の詳細は「答えたくない」と証言を制限
2000年3月15日、福岡地裁は小田に死刑判決を言い渡します。裁判長は「被告は犯行を主導しており、動機にも酌量の余地はまったくない。冷酷かつ非情であり、被害者遺族も極刑を望んでいる」と判断の理由を述べました。
小田は弁護人の控訴を自ら取り下げ、死刑が確定。2007年4月27日、59歳で死刑が執行されました。
益田の出頭と裁判の経緯
小田の死刑確定後、益田は大きな決断を下します。2000年4月29日、福岡県警田川警察署に自ら出頭したのです。
小田の死刑判決を知り、自殺を考えた
実家に立ち寄るも家族には会えず
「長い間ご迷惑かけてすみません」というメッセージを残す
益田の裁判では、小田が語らなかった事件の詳細が明らかになっていきます。益田は起訴事実をすべて認め、殺害の具体的な方法と場所、小田との役割分担、逃亡中の生活実態などの詳細を自白しました。
検察は「2人の命を奪った責任は重いが、主導的役割を果たしたとまでは言えない」として、無期懲役を求刑。2002年6月27日、福岡地裁は求刑通り無期懲役を言い渡しました。益田は控訴せず、判決は確定。現在も服役を続けています。
益田千栄の生い立ちと現在
女の無期懲役囚でろくでもない男にそそのかされたり洗脳させられたりして犯行に加担してしまったケースはチラホラある。有名どころだと北村由紀恵・池田真弓・緒方純子・益田千栄・武まゆみあたり。夫を撲殺してバラバラにして捨てた三橋香織は最近出所したが夫がDV癖だったのよね〜 https://t.co/3UEdUucluJ
— 闇鍋リタリン (@neoryokucha) January 9, 2024
裕福な家庭で育ち、名門高校に通っていた益田千栄。なぜ彼女は20歳という若さで凶悪犯罪に手を染めることになったのでしょうか。
名門校の目立たない生徒から犯罪者へ
益田は福岡県内の名門T高校家政科に通っていました。同級生たちの証言からは、当時の彼女の姿が浮かび上がってきます。
成績は特別優秀ではない普通の生徒
目立たない性格で、陰に隠れるような存在
親しい友人は少なかった
家庭環境については、経済的な面では恵まれていました。実家は広い庭と高い塀に囲まれた和風の邸宅で、金銭的な困窮はなかったとされています。
しかし、そんな平凡な生活を送っていた益田の人生は、高校卒業後に大きく変わることになります。マスダ宝石にアルバイトとして入社したことで、前科者の小田と出会い、その人生は大きく狂っていきました。
小田との出会いが人生を狂わせるまで
マスダ宝石での雇用から、益田は急速に小田の影響下に置かれていきます。その過程には、小田による巧妙な心理操作があったとされています。
20歳という若さで社長の地位を与える
競艇場デートなどで親密な関係を築く
同棲生活を始め、完全な支配下に置く
小田は益田の若さと経験の少なさにつけ込み、徐々に犯罪計画に引き込んでいきました。益田は小田への恋愛感情と支配関係から抜け出せず、結果として凶悪な犯罪に加担することになります。
服役生活と更生の可能性
2000年に自首して以来、益田は刑務所での服役を続けています。2024年現在、54歳となった彼女の服役生活について、わかっている範囲で見ていきましょう。
九州の刑務所で服役しているという説あり
真摯な態度で刑務作業に取り組む様子
事件の詳細を供述し、反省の態度を示す
無期懲役の場合、仮釈放までの期間は通常10年以上とされています。しかし、益田の事件は2人の命を奪った重大な犯罪であり、仮釈放の可能性については困難であると考えられます。事件発生から30年以上が経過した現在も、益田の服役は続いています。
小田義勝の生い立ちから死刑執行まで
小田義勝
福岡・赤池町保険金殺人事件
1990年12/25〜26
女と共謀し、男性と女性を無理心中に見せかけ殺害。2人の遺体を男性の車に乗せ、ガソリンを撒き放火。死者2名。07年4/27、執行。59歳。 pic.twitter.com/CW7M1P7RJY— 執行済み・獄中死した死刑囚bot (@sikei_syu_bot2) January 7, 2023
保険金殺人事件の主犯として死刑が執行された小田義勝。常習的な犯罪者となっていく過程と、その最期まで。
犯罪歴と素行
小田は定職に就かず、犯罪で金を稼ぐ生活を送っていました。しかし、周囲からは紳士的な印象を与える巧妙な手口の持ち主でした。
複数回の前科を持つ常習犯
表向きは紳士的な態度で周囲を欺く
保険金詐欺を得意とする
1990年3月には自宅に火災保険をかけて放火し、数百万円の保険金を詐取。この成功体験が、後の保険金殺人計画につながっていきました。
保険金殺人への経緯
火災保険詐欺の成功後、小田はより大きな保険金を狙うようになります。美術店を経営した際にも、同様の計画を企てていました。
以前の犯行計画は
美術店の女性従業員3人を標的に
社員旅行中の殺害を計画
共犯予定者が逃げ出したため未遂に終わる
この失敗を教訓に、小田は若い益田を利用する新たな計画を練り上げます。益田を洗脳し、完全な支配下に置くことで、確実な実行犯を確保しようとしたのです。
逮捕から死刑執行まで
1993年の逮捕後、小田は長らく黙秘を続けましたが、次第に事件の真相が明らかになっていきました。
当初は完全黙秘を貫く
1999年に突如、犯行を認める
益田の生存は認めるも、詳細は語らず
2000年3月15日の判決で裁判長は死刑を言い渡しました。小田は控訴を取り下げ、死刑が確定。2007年4月27日、福岡拘置所で死刑が執行されました。
最期まで事件の全容を語ることはありませんでしたが、遺族や関係者の証言により、その残虐性が明らかになっています。
行きつけの店の女性たちは「とても紳士で男らしく、優しい人だった」と振り返りますが、それは小田の巧妙な偽装の一部。59年の生涯を通じ、小田は多くの人々を欺き、傷つけ、最後は自らの命で償うことになりました。
益田千栄が凶悪犯罪に走った赤池町保険金殺人事件【総括】
1990年12月、福岡県の赤池町で発生した保険金殺人事件
主犯の小田義勝は複数の前科を持つ42歳の犯罪者
共犯の益田千栄は名門T高校出身の20歳の女性
小田が益田を精神的に支配し、殺人計画に巻き込む
従業員の蔭西生代さんに1億円の保険金を掛ける
テレクラで知り合った白石健さんも巻き込み殺害
2人の遺体を車両火災で焼き、無理心中を装う
犯行後、東京で9年に及ぶ逃亡生活
小田は1993年に別件逮捕、後に死刑執行
益田は2000年に自首、無期懲役が確定
事件の影響でT高校家政科が閉科に追い込まれる
遺族や関係者に深い心の傷を残した事件
支配的な人間関係が引き起こす悲劇の典型例
益田は現在も服役を続け、罪を償う日々を送る
この事件は、私たちに重要な警鐘を鳴らしています。特に、支配的な人間関係に陥りやすい若者たちへの注意喚起として重要な事例です。家庭環境や学歴に関係なく、誰もが犯罪に巻き込まれるリスクを抱えているという現実を、私たちは真摯に受け止める必要があります。