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名張毒ぶどう酒事件の真犯人は会長!?村の闇に隠された真実と94歳の再審請求人【いもうとの時間】

事件簿
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名張毒ぶどう酒(1961年)の真犯人について、長年謎に包まれたままとなっています。

この事件では、一審無罪から一転、控訴審で死刑判決が下されました。しかし、物的証拠に乏しく、状況証拠と自白のみで死刑が確定したことに疑問の声が上がっています。

さらに、村人たちの証言が突如として変更されたことや、科学的な検証により次々と新たな疑惑が浮上するなど、真相解明を求める声は今なお続いています。

名張毒ぶどう酒事件の真犯人

事件の背景にある複雑な人間関係と村の実態
説を裏付ける新たな科学的証拠
村の有力者・奥西楢雄を巡る真犯人説の真相
10度に及ぶ再審請求の歴史と現在

60年以上の時を経て、当時を知る人々の多くが亡くなっていく中、真相究明はますます困難になっています。しかし、新たな科学的証拠の発見や、最高裁判事による初の再審支持意見など、事件の真相に迫る新しい動きも出てきています。

事件の全容を知ることで、日本の司法制度が抱える問題点や、閉鎖的な地域社会の闇について、より深く理解することができます。

2025年1月4日、東海テレビ制作の「いもうとの時間」が公開されます。1961年に三重県名張市で発生した「名張毒ぶどう酒事件」を46年にわたって取材してきた同局が、獄中死した奥西勝さんの無実を訴え続ける妹・岡美代子さんの姿を追ったドキュメンタリー作品です。

名張毒ぶどう酒事件の舞台と関係者

名張毒ぶどう酒事件は、三重県と奈良県の県境に位置する小さな集落で起きた悲劇でした。事件の背景には、当時の村落特有の習慣や複雑な人間関係が深く関わっていました。

葛尾地区という特殊な環境

事件の舞台となった葛尾地区には、当時いくつかの特徴的な環境がありました。

三重県名張市側と奈良県山辺郡山添村側にまたがる25戸の集落
人口わずか101人の閉鎖的な地域社会
夜這いの風習が色濃く残る環境

この地域では、夜這いは女性側の同意を前提とした社会的に容認された習慣でした。そのため、既婚者間の関係も珍しくなく、25戸中7組が何らかの三角関係にあったとされています。

また、葛尾地区の特徴として以下の点も挙げられます。

村の有力者の発言力が強い階層社会
住民のほとんどが親戚関係
「三奈の会」を中心とした地域コミュニティの存在

「三奈の会」は三重と奈良の頭文字を取って名付けられた農村生活改善クラブで、年に1度の総会は村の重要な行事となっていました。

複雑に絡み合う人間関係

事件の中心となったたちの関係は、非常に複雑なものでした。

奥西勝(当時35歳):事件で犯人とされた人物
奥西楢雄:「三奈の会」会長で、奥西勝さんの隣人かつ親戚
北浦ヤス子:両者の愛人として存在

奥西勝さんと奥西楢雄さんは同じ「奥西」姓を持つ親戚関係にあり、隣接して暮らしていました。さらに、両者は北浦ヤス子という女性を愛人として共有するという複雑な関係にありました。

また、以下のような人間関係も事件に関わっています。

奥西フミ子:奥西楢雄の妻で、姑との確執があった
奥西チヱ子:奥西勝さんの妻
奥西コヒデ:奥西楢雄の母で、嫁のフミ子と確執

特に注目すべきは、奥西楢雄家における嫁姑問題です。フミ子と姑のコヒデは「殺すか殺されるか」というほど仲が悪く、フミ子は夫婦喧嘩の際に奥西勝さんの家に逃げ込むこともあったとされています。

このように、葛尾地区では夜這いの習慣を背景に、複雑な人間関係が形成されていました。そして、これらの関係性が事件の真相を複雑にする要因のひとつとなっているのです。

名張毒ぶどう酒事件の発生と捜査

1961年3月28日夜、「三奈の会」の総会後の懇親会で突如として複数の女性が倒れ始めました。この事態を発端として、名張毒ぶどう酒事件の捜査は開始されることになります。

事件当日の動き

事件当日は、以下のような流れで悲劇が起きました。

午後7時から「三奈の会」の総会を開始
午後8時頃から懇親会がスタート
乾杯から約10分後に異変が発生

懇親会では男性には清酒、女性には白ワインが振る舞われました。このワインは当日になって突然、会長の奥西楢雄が購入を決めたものでした。

ワインの調達経路は以下の通りです。

農協職員の石原利一が酒屋で購入
奥西楢雄宅へワインを届ける
奥西勝さんが公民館まで運搬

その後、女性たちが次々と体調不良を訴え始めます。症状は深刻で、被害状況は以下の通りでした。

女性20人中17人が中毒症状
うち5人が死亡
残る12人が重軽傷

捜査の展開

警察は当初、か急性アルコール中毒を疑いました。しかし、以下の点から農薬による毒物事件と断定します。

清酒を飲んだ男性に症状なし
ワインを飲まなかった女性3人も無事
医師が農薬中毒の症状と判断

捜査は、ワインに触れる機会のあった3人に焦点を当てて進められました。

会長の奥西楢雄
運搬担当の石原利一
公民館まで運んだ奥西勝さん

特に注目されたのが、奥西勝さんが公民館で1人になったとされる「10分間」です。しかし、この時間に関する証言には重大な問題がありました。

当初の証言では以下のようなタイムラインでした。

午後2時15分頃:ワインが会長宅に届く
午後5時20分頃:奥西勝さんが公民館へ運搬
約3時間の空白時間が存在

ところが、奥西勝さんが自白した後、村人たちの証言は一斉に変更されます。ワインが届いた時刻は奥西勝さんが取りに来る直前となり、毒物を混入できる機会は「10分間」だけということになったのです。

逮捕に至るまで

警察は奥西勝さんを事実上の容疑者として、厳しい取り調べを行いました。

連日14時間に及ぶ取り調べ
自宅での監視は排便にまで及ぶ
警察官が自宅に泊まり込む状態

そして事件から6日後の4月3日未明、奥西勝さんは突如として犯行を自白します。自白の内容は以下の通りでした。

妻と愛人との三角関係を清算する目的
茶の消毒用の農薬ニッカリンTを使用
公民館で1人になった際に実行

この自白を受けて警察は奥西勝さんを逮捕。異例の「容疑者による記者会見」まで行わせています。しかし、奥西勝さんは逮捕後の取り調べから一転して犯行を否認。「自白は強要されたもの」と主張を始めます。

死刑判決の決め手となった歯形鑑定

名張毒ぶどう酒事件で、奥西勝さんが犯人と断定された最大の物的証拠は、ワインの王冠に残された歯形でした。この証拠が裁判の行方を大きく左右することになります。

王冠の歯形の発見と鑑定

事件当日、現場から以下の状態の王冠が発見されました。

ワイン瓶の王冠に人の歯形のような傷跡
王冠の複数箇所に圧迫された痕跡
四足替栓の足に極端な折れ曲がり

当時の捜査では、この王冠の傷跡について以下のような説明がなされました。

犯人が歯で噛んで開栓した痕跡
農薬を注入するために開けた際の傷
奥西勝さんの自白と一致する行為

松倉鑑定とその問題点

法医学会の権威であった松倉豊治・大阪大学医学部教授による鑑定が、決定的な証拠として採用されました。

現場の王冠の傷跡を写真撮影
奥西勝さんに新しい王冠を噛ませて比較
両者の歯形が「一致する」と結論

しかし、この鑑定には重大な問題がありました。

異なる倍率の写真を比較して判断
三次元的な検証が行われていない
同一人物でも歯形が一致しない可能性の無視

科学的な再検証による新事実

その後の再審請求の過程で、以下の新たな事実が判明しています。

傷の三次元形状が奥西勝さんの歯形と全く異なる
10箇所中9箇所で歯形が一致せず
最大で2.6mmのずれが存在

さらに、実験により以下の事実も明らかになりました。

王冠を傷つけずに開栓する方法の存在
四足替栓の極端な折れ曲がりは人の歯では不可能
封緘紙を破らずに開栓できる可能性

このように、死刑判決の決め手となった歯形鑑定は、その科学的信頼性に重大な疑問が投げかけられています。しかし、裁判所は「奥西勝さんの歯形であっても矛盾しない」という判断を崩していません。

裁判の経過

名張毒ぶどう酒事件の裁判は、第一審の無罪判決から控訴審での逆転死刑判決に至るまで、大きな注目を集めました。物証に乏しい中での判断は、日本の司法制度の在り方にも一石を投じることになります。

第一審での無罪判決

1964年12月23日、津地方裁判所(小川潤裁判長)は証拠不十分により無罪判決を言い渡しました。判決の要点は以下の通りです。

自白の任意性は認めつつも信用性を否定
物証となる歯形鑑定への疑問
村人の証言変更を「検察の並々ならぬ努力の所産」と批判

特に、裁判所は以下の点で検察側の主張を退けています。

犯行時刻や証拠とされる王冠の状況と自白の矛盾
犯行動機とされた三角関係の清算に疑問
奥西勝さんと妻、愛人は「仲良し三人組」との認識

裁判所は、事件の2日前に奥西勝さんがコンドームを購入していた事実や、3人で映画を見に行く約束をしていたことなどから、三角関係を清算する動機は希薄だと判断しました。

控訴審での逆転死刑判決

検察側は一審判決を不服として控訴。1969年9月10日、名古屋高等裁判所(上田孝造裁判長)は一審判決を破棄し、奥西勝さんに対して死刑を言い渡します。

目撃証言の変遷を認めつつ、時間的な犯行可能性を認定
王冠の歯形鑑定を信頼できると判断
奥西勝さんの人物性格評価にも言及

特筆すべきは、裁判所が奥西勝さんの人格について「無口で、平素なにを考えているのかわからないような陰険な性格の持ち主」と評価し、これを犯行動機の信憑性を裏付ける要素としたことです。

また、判決では以下の点も重視されました。

奥西勝さんが農薬ニッカリンTを所持していた事実
事件前に妻に「酒を飲むな」と告げていた証言
公民館での「10分間」の状況
(確定死刑判決では「奥西が公民館で1人になった10分間以外に犯行の機会はない」と認定)

この控訴審判決について、弁護団は以下の点で強く異議を唱えています。

村人の証言変更を安易に認めた点
科学的根拠の弱い歯形鑑定を採用した点
人格評価を有罪の根拠とした点

1972年6月15日、最高裁判所は名古屋高裁の判断を支持し、上告を棄却。奥西勝さんの死刑が確定します。これは、戦後の刑事訴訟制度発足以来、第一審の無罪判決が控訴審で破棄され、逆転死刑判決が確定した最初で唯一の事例となりました。

この異例の判決は、日本の司法制度に大きな波紋を投げかけることになります。特に、物的証拠に乏しい中での死刑判決の是非について、法曹界でも議論を呼ぶことになりました。

冤罪説と真犯人説

名張毒ぶどう酒事件では、確定判決後も冤罪を指摘する声が絶えません。科学的な新証拠の発見や、真犯人に関する様々な説が浮上する中で、事件の真相は今なお霧の中です。

冤罪を示唆する新証拠

弁護団は再審請求の過程で、次々と新たな証拠を提示してきました。特に注目すべきは以下の科学的検証結果です。

歯形鑑定における重大な問題点
使用された農薬に関する新事実
封緘紙の分析結果

歯形鑑定については、以下の問題が明らかになっています。

異なる倍率の写真を比較して「一致」と結論
三次元解析で形状が全く異なることが判明
同一人物の歯形でも一致しない可能性

また、農薬に関する新たな発見も重要です。

ニッカリンTは赤色の液体だが、使用されたのは白ワイン
飲み残しから検出された成分に矛盾
別の農薬が使用された可能性

さらに、2020年10月には封緘紙に関する新証拠が提出されました。

製造時とは異なるのりの成分を検出
一度開封後に貼り直された可能性
別の場所での毒物混入を示唆

真犯人説の検証

事件の背景にある複雑な人間関係から、様々な真犯人説が浮上しています。中でも注目されているのが、会長の奥西楢雄説です。

この説を支持する根拠として、以下の点が指摘されています。

妻のフミ子と姑のコヒデの深刻な確執
愛人の北浦ヤス子との関係
事件後の早期再婚

特に、嫁姑問題の深刻さについては、以下の事実が指摘されています。

「殺すか殺されるか」という関係
フミ子への暴力行為
奥西勝さん宅への逃げ込み

また、集落における権力構造の観点からも、以下の点が注目されています。

奥西楢雄の村での影響力
証言変更における村人への影響力
農協職員という立場の利用

ただし、これらの説はあくまでも状況証拠や推測に基づくものであり、確実な証拠は示されていません。しかし、奥西勝さんを犯人とする根拠も同様に脆弱であることから、真相究明の必要性が指摘され続けています。

事件発生から60年以上が経過し、当時を知る人々の多くが亡くなっていく中、真相の解明はますます困難になってきています。しかし、新たな科学的検証結果は、この事件に新たな光を当て続けています。

再審請求の道のり

死刑が確定して以降、奥西勝さんと支援者たちは幾度となく再審請求を行ってきました。その闘いは死後も、妹の岡美代子さんによって引き継がれています。半世紀以上に及ぶ真実究明への道のりを追っていきます。

9度の再審請求

奥西勝さんによる再審請求は、以下のような経緯をたどりました。

1973年:第1次再審請求
1974年:第2次再審請求
1976年:第3次、第4次再審請求

当初の4回は支援者もなく、奥西勝さんがひとりで請求を行っていました。その後、市民団体・国民救援会の川村富左吉氏との出会いにより、支援の輪が広がっていきます。

第5次再審請求以降は、以下のような新証拠が提出されました。

歯形鑑定の科学的検証結果
農薬ニッカリンTに関する新事実
目撃証言の変遷を示す資料

特に注目されたのは第7次再審請求です。2005年4月、名古屋高裁は以下の理由で再審開始を決定しました。

王冠を傷つけずに開栓可能な方法の発見
農薬の種類が自白と矛盾する証拠
歯形鑑定のミスの発見

しかし、この決定は翌年に取り消されることになります。その後も再審請求は続きましたが、2015年10月4日、奥西勝さんは八王子医療刑務所で89歳の生涯を閉じました。

妹・岡美代子さんによる闘い

兄の死後、岡美代子さんは再審請求を引き継ぎ、新たな証拠とともに真実の解明を求め続けています。

第10次再審請求では、以下の新証拠が提出されました。

封緘紙の科学的分析結果
毒物に関する新たな鑑定書
専門家による意見書

特に封緘紙の分析では、以下の重要な発見がありました。

製造時と異なるのりの成分を検出
毒物混入後の貼り直しの可能性
犯行場所が別である可能性

2020年3月には、検察側が約15年ぶりに新たな証拠を開示。その中には、以下のような重要な証言が含まれていました。

瓶の封緘紙の状態に関する証言
奥西勝さんの自白と矛盾する目撃証言
当時の状況を示す新資料

しかし2022年3月、名古屋高裁は再審請求を認めない決定を下します。2024年1月29日には最高裁も特別抗告を棄却し、再審への道は閉ざされました。

ただし、今回の最高裁決定では、学者出身の宇賀克也判事が「再審を開始すべき」との反対意見を述べています。これは10回にわたる再審請求の中で、最高裁判事が再審開始を支持した初めてのケースとなりました。

現在94歳となった岡美代子さんは、「私の命あるかぎり、兄の名誉を回復するために頑張りたい」と語り、真実究明への意志を示し続けています。

名張毒ぶどう酒事件は真相解明への道半ば【総括】

名張毒ぶどう酒事件の真犯人

1961年に三重県名張市で発生した毒殺事件
懇親会の白ワインに毒物が混入され、女性5人が死亡
奥西勝さんが逮捕され、一審無罪も控訴審で逆転死刑判決
物証に乏しく、自白と状況証拠が判決の主な根拠
当初の証言から村人の供述が一斉に変更された疑惑
歯形鑑定には科学的な問題点が多数存在
使用された農薬の種類にも疑問符
封緘紙の分析で新たな疑惑が浮上
10度の再審請求はすべて認められず
奥西勝さんは2015年に89歳で獄中死
妹の岡美代子さんが現在も真相究明を求め続ける
最高裁判事による初の再審支持意見も登場
事件から60年以上が経過し、証人の高齢化が進む
村の閉鎖性と権力構造が真相究明の壁に

この事件が私たちに突きつけているのは、司法制度における証拠の重要性と、冤罪の可能性に対する慎重な判断の必要性です。物証に乏しい中での死刑判決、そして度重なる再審請求の棄却。しかし、科学的な検証によって次々と新たな疑問が投げかけられ続けています。

真相の究明を求め続ける岡美代子さんの闘いは、私たちに司法の在り方、そして人の命の重さについて深い問いを投げかけています。事件発生から60年以上が経過し、真相解明はますます困難になっていますが、この事件が投げかけた問題について、私たちは考え続けていく必要があるでしょう。

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